代表の独り言★毎月更新

【代表の独り言4月号 白内障手術】

3月の合奏練習をお休みしたのは両眼の白内障手術を受けていたからだ。人間80歳になればほぼ100%白内障になると言われているので、白内障の症状(ぼやけて見づらい、逆光がまぶしい、寝ている猫がハンバーガーに見える等)があれば早めに手術を受けることをお勧めする。特に近視、老眼が進んで2種類以上のメガネを使い分けているひとには、近距離か遠距離かどちらかに焦点をあわせたレンズを入れることによってメガネが1種類で済むという利点もある。私の場合、読書、パソコン、楽譜、睡眠中の夢など近距離を見る時間が1日の内16時間ほどあるので、近距離に焦点を合わせることにした結果、室内での生活ではほぼメガネが不要になった。オケの練習のときはタクトの動きは確認できると思うので、メガネ無しの次の練習が楽しみだ。

うちの楽団も白内障手術の必要な団員が増えてくるだろうから、今後のために手術の手順と注意事項を解説しておこう。簡単に言うと水晶体内の汚れを取り除いて人工レンズを挿入するだけだから、実際の手術時間は15分以内で済んでしまう。ただし、手術前に瞳孔を開く薬と麻酔薬の点眼の時間があるのと術後の支払い手続きで、トータルでは2時間ぐらい医院にいることになる。手術台は歯科の診察椅子みたいなもので、座って背もたれを倒して仰向けになって手術する。眼が見える状態で黒目に穴を開ける訳だから、すごく怖いと思っていたが、穴をあけるのは黒目の端の部分だから視界にメスは入らない。ここで注意点の1である。麻酔は十分に掛かるまで点眼してもらうことだ。私は看護師の言うことに適当にうなずいていたので、悲鳴を上げるほどではないが手術の時少し痛みを感じた。
次に開けた穴から機械を入れて超音波で水晶体の内部を砕いて吸引する。超音波を発生させるときUFOが離陸するときのような(私はUFOに載せてもらったことがないのであくまで推測だが)異音を発するのと結構時間が掛かるので、正直言って気持ち悪い。最後に人工レンズを入れて眼帯を付ければお仕舞だ。片目ずつの手術だったから日帰りで済む。翌日の通院のとき眼帯を外すとすぐに見えるようになるが、私の場合レンズの焦点を近くにし過ぎたために、スマホの小さい字は良く見えるが楽譜まで離れると見づらいことが分かった。それで次回(左目)の手術では焦点距離を2段階遠くに合わせることにした。片目ずつの手術は正解だと思ったが、左目の手術が終わってもまだ楽譜は多少見えにくい。ここで注意点の2だ。手術前の視力検査はしっかりやっておかないと焦点距離が合わないということだ。いずれにしても遠くはハッキリ見えないので外出するときはメガネが必要だ。理想的には見え方が落ち着く3か月後ぐらいにメガネを作るのが良いとされるが、それまで外出出来ないのは辛いので、術後1週間でメガネを作った。たいていの眼鏡店は6カ月以内ならレンズ交換の保証付きだから再調整は可能だ。

術後でやっかいなのは1週間風呂に入れないことだ。シャンプーと洗顔も厳禁だ。さすがに3日目以降は気持が悪いので下半身だけ気を付けながらシャワーを浴びたが、頭と顔が洗えないのは辛い。1週間たつと絶対に臭うはずなので、3月の練習を休んだ原因は眼の具合よりもニオイの問題を気にしたからだ。本人は良いが回りが迷惑だ。3月のメールで仁王(ニオウ)様と自称していたのはこのためだ。嗅覚は慣れると感じなくなるので自分がクサいかどうかは分からない。ネコを抱いて反応を見たが、ネコは靴下なんかの悪臭が好きだから全く当てにならない。ここで注意点の3だ。白内障の手術は夏場を避けること。汗なんかかいたら大変なことになるだろう。医者はこんなこと言うと手術が減るから絶対言わないのでなおさら注意すべきだ。4月の練習前にはしっかり入浴しておくので、ニオイで迷惑をかけることはないと思うが、仁王様と呼ばれることは嫌いではない。


【代表の独り言3月号 代表は植木屋なのだ】

「天才バカボン」のパパの職業は植木屋なのだ。数あるギャグ漫画のなかで天才バカボンは最高傑作だと思っているし、昔からバカボンのパパの自由奔放な生き方を理想としていた。バカボンのパパになるには植木屋を目指すしかないと思っていたが、残念ながら身近に植木屋のコネがなく、やむ無く制約だらけの堅苦しい会社に就職するはめとなった。会社生活では巨人ファンの上司と対立して海外に飛ばされたり、有能なイケメン(私のこと)をねたんだ上司から別会社出向を命じられたりと苦汁を舐めてはいたが、それでもいつかは植木屋になろうと言う熱い思いは捨ててはいなかった。チャンスが訪れたのは40歳のころだ。たまたまめくっていた新聞に各種資格通信講座という広告があり、そのなかに植木職人が見つかった。しかも40歳以上なら労働省(当時)から半額補助金がもらえるというオマケつきなのだ。6カ月の通信教育で憧れの植木屋になれるのならやるしかないと即断即決だった。

詳しく調べてみると植木屋という国家資格はない。受講した日本園芸協会が認定する「庭園管理士」が、我が国唯一の植木屋の資格らしい。講座の内容は植木の栽培・剪定は当然ながら、日仏英式それぞれの庭園設計・造園まで含まれている。合格すればベルサイユ宮殿の庭園管理まで請け負える可能性もある(あくまで可能性だけ)大変な資格なのだ。6ヶ月の猛勉強の末、私はなんとこの超難関の植木屋試験に「優秀な成績」で(認定書には優秀な成績と書いてある)見事合格し、当協会から優秀な「庭園管理士」と認定されたのだ。この認定書さえあれば、植木屋として看板も出せるし広告も打てるところだが、通信教育だけに多少の不都合も生じる。

認定試験はペーパーテストだけで実技試験は一切ない。剪定鋏はなくとも鉛筆一本あれば庭園管理士にはなれる(実際なってしまった)。だから「モクセイ科の常緑樹で冬に芳香性の白い花を咲かせトゲのある鋸葉を持つ樹木」と文章で問われれば「ヒイラギ」と答えられるが、実物のヒイラギを見せられても名前が出てこないのが欠点だ。だから広告をだして剪定を頼まれても、まず実際に植えられている樹木の名前を聞いて、テキストからその剪定方法を探してから作業を始めざるを得ない。こんな植木屋をだれが信用するだろうか。

そこでまずは自宅の庭木の剪定で経験を積むことにした。優秀な庭園管理士なのだから鉛筆以外に一通り道具を揃える必要がある。体裁を整えるのは得意だ。剪定鋏、刈込鋏、電動鋸、チェーンソー、キャットタワーまで揃えた(ただしキャットタワーは剪定には使わない)。もはや植木屋が持つべきもので私にないのは腕と羞恥心だけだ。実際剪定鋏を使ってみると想像以上によく切れる。親指ぐらいの枝は簡単に切り落とせるが、通信教育のテキストには枝と指を間違えて切るなと丁寧に書いていない。枝のつもりで鋏を入れてみて、痛いと感じたら指である可能性が高い。すぐに切るのを止めるべきだ。これは経験で覚えるしかない。この辺も通信教育の弱点ではある。

資格を取ってからなんだかんだで何十年、自宅の庭の手入れは本物の植木屋の手を借りなくても全て自分で出来るようになった。それでバカボンのパパになれたかと言うとそうもいかない。退職してすべての縛り(妻を除く)から解放されて、やっと自由奔放なバカボンのパパに近づいた気がする。植木屋になるより退職して青葉フィルの代表になるほうがバカボンのパパへの近道かもしれない。ただし青葉フィルの代表になるための通信教育は今のところ存在しない。


【代表の独り言2月号 1年は長い?】

歳をとるごとに1年経過するのが早く感じる。そうは言っても高齢者が3日寝たら年が明ける訳ではない。3日で年が明けるなら人生毎日が正月になる。科学的には老若問わず経過時間は一緒なのだが、確かに子供のころに比べ最近の1年は経過するのが早く感じる。これを論理的に説明したものに「ジャネーの法則」と言うものがある。1年がこれまでの人生の何割に当たるかで体感の長さが変わると言うものだ。2歳児にとって1年は全人生の1/2の長さなのに対し、50歳のオッサンにとっては1/50でしかない。100歳になれば1年は全人生の1/100なのだから誤差の範囲ということになる(何が誤差か分からないが)。確かになるほどと思わせる法則だが、体感時間の長短にはジャネー以外に2つの要素が影響していると思う。

一つは体験したことが楽しいか辛いかである。楽しい時間は早く終わるし、辛い時間は長く感じるものだ。学校の担任が意地悪で怒りっぽい先生の場合、その1年はとても長く感じる。また阪神がボロ負けした試合は長く感じるのに、勝した日はアッと言う間だ。私の場合1年が長く感じられるシーズンがほとんどだった。かつての巨人ファンは人生が短く感じられたはずだ。そういう意味では人生を長く感じる阪神ファンは幸せなのかもしれない(そう言って慰めるしかない)。

もう一つの要素は未知の体験をどれだけ積んだかだ。幼児期は毎日が未知の体験だから1年が長く感じるのは当然だ。大人になっても就職、結婚、転勤、転職、懲役、記者会見など環境が一変した年の1年はすごく長く感じる(新婚の年が長く感じたら辛さの問題かもしれないが、私の経験ではない)。私の場合2回転職し、転勤は10回近くやっているが、とりわけ最初の海外駐在(香港)の1か月が1年ぐらいに感じる長さだった。日本語が通じない世界で、住宅探しから仕事の人脈作り、さらには香港猛虎会立ち上げという未経験の業務をこなしていった。未知の体験を重ねるほど1年は長く感じる。

以上のジャネー以外の2つの要素で、私の記憶にある最初の劇的な環境変化で長かった1年を紹介したい。それは幼稚園のときだ。なんと退園処分を食らってしまったのだ。万引きとか女子アナとトラブルを起こした訳ではない。単に先生の真似をして園児を集めてお遊戯したり合唱したりしただけなのだが、結果として先生と私で桃組を二つに分断したような状態になったのだ。もちろん先生の言い方も紛らわしいのだ。「はい、みなさん先生の真似をして・・・」と言うから私も先生の真似をして「はい、みなさん・・」といったら園児たちがついてきた訳だ。当然桃組はトランプに分断されたアメリカのような状態だ。私もトランプも悪気はなく、楽しいことをやっているだけなのだが、園児の半数が私を先生と思うようになったのが良くなかったようだ(園児も米国民も似たようなものだと言うのが分かる)。

困った幼稚園側は「これ以上面倒見切れない」と私の親に泣きついて退園(転園)を申し入れたようだ。親も自分の子供のために反論してもよさそうなものだが、園側の窮状を見かねて受け入れた。もしそこで私の経歴が終わっていたら、最終学歴は幼稚園中退で終わっていたが、幸い拾ってくれる幼稚園が見つかって転園することになった。だがここからが辛くて長い1年となるのだ。転園の理由を親から聞かされていたのだろう、新しい先生の私に対する当たりが非常に厳しい。常に怖い顔で私の行動を監視するし、何か余計なことを口にするとすぐに怒られる。ともかく極楽幼稚園から監獄幼稚園へと環境が様変わりしたこの1年は幼いながら非常に長く感じたものだ。この閻魔先生が原因だろう、それ以来私は無口で控えめな性格のまま今も日陰の人生を送っている。

さて幼稚園児よりも高齢化した青葉フィルの皆さんには、今年を楽しくて長いと感じる充実した1年にして頂きたい。阪神ファンになるのも一案だが、音楽を通じて新たな経験を積んでは如何だろう。もちろん新たな経験は待っていても訪れるものではないので、自ら挑戦することが大切だ。私にとっては前号でも書いたシャコンヌへの挑戦を今年は一気に倍増して4小節をマスターすることを考えている。団としては定演以外にクリスマスコンサートとかニューイヤーコンサートなんかを企画してみたらどうかと思う。ただし張り切り過ぎて余計な苦労を背負い込んで辛くて長い1年にはならないように。つらいのは阪神ファンだけで十分なのだ。


【代表の独り言 新年特集】

新年特集と言っても、分量が多い訳でも、読んでためになる訳でも、まして演奏が上達したり、体重が減る訳でもない。せいぜい難しい文章を読んでいるフリをして、お年玉をせがむ小悪魔たりから雲隠れするぐらいの効能しかない。それでも私にとっては毎月の義務なので、今回は新年にちなんだ話題に触れた「新年特集」にしたいと思う。

正月三が日にやってはいけない決まりごとがある。掃除してはいけない、刃(包丁)を使ってはいけない、火を使っては(煮炊きしては)いけないなどだ。(楽器のお稽古もしてはいけないことに入れるべきだ。家族にもペットにも近所にも迷惑だし、本人にとってもいくら練習しても上達しないという屈辱を元日から味わうべきではない。)やるべきことは旧年中にやって、三が日だけは雑事に振り回されず新年を祝おうという趣旨なのだろう。旧年中に何も働いていない怠け者にも当てはまるので、誠にありがたい決まりごとだが、これを厳密に守ると色々と問題が起こる。包丁も使わず、煮炊きもせずにどうやって雑煮を作るのだろう。さらにお屠蘇をこぼしたり、ネコが粗相したり、庭にオスプレーが墜落したりしたら、いくら掃除をしてはいけないと言われても、ある程度片付けないとゆっくり初笑い番組は見られない。どっちにしても雑煮を作るのも、後片付けをするのも旧年中にせっせと働いたひとがすることになるのだから、怠け者が気にする決まりごとではないのだ。ちなみに言っておくがウチでは私は働き者に属している(というより全員が怠け者と言う方が正しい)。ただオスプレーの掃除はまだやったことはない。

世間ではよく「一年の計は元旦にあり」というが、ベテラン受刑者は「一年の刑は簡単なり」という(新年早々スベってしまった)。一年の目標を立てるにはちょうど良い区切りの日なのだ。子供のころは元日に親から一年の目標を言わされたものだ。「阪神を優勝させるために最善を尽くす」などという崇高な目標はなぜか却下されて、大概しっかり勉強する、くらいの目標に落ち着く。最近は家族から目標を言わされる(ネコにはだれも目標を言わせないのはずるい)。「ウィーンフィルのコンサートマスターになる」というのは通らない。可能性は阪神優勝より圧倒的に低い(正直言ってウィーンのコンマスなるのは、ハエたたきでオスプレーを叩き落すくらい困難だ。)「バッハのシャコンヌを完成させる」なら却下されないが、無視される。それでもここ暫く目標にしてから1年で2小節ずつ練習を重ね、10年で20小節ぐらいまで仕上がった。完成までもう200年ぐらいのところまで来ているが、練習よりも寿命を延ばすことを目標にすべき時期に差し掛かっている。

家族から必ず言わされるのが、酒を控えることだ(ネコは逆に私が酔うとおやつをもらえるので酒は飲んで欲しいと言っている)。ここ数年ずっと節酒は今年の目標にしているが、なんと休肝日が1日もない年が数年続いている。原因を探求するにどうもお屠蘇が良くないことが判明した。節酒の誓いを立てたすぐあとでお屠蘇を頂くのだが、正月の儀式とはいえ多少のアルコールが入っている。少しでもアルコールを飲むと都合の良い言い訳になって、元旦ぐらいは呑んでも良いかという具合になる。次の日は3が日ぐらいは許してもらって4日から節酒すればよいという気持ちになる。3日連続飲むと元日の誓いが薄らいできて、4日には来年頑張ろうということになる。禁酒、節酒の誓いは元旦に立てるものではない。

さて代表として青葉フィルの今年の目標を立てなければならない。これまで通り「和」を大切に団員全員が合奏を楽しむことは当然ながら、7月の定演でのお客様からの評価を一段上げたいと思っている。所詮アマチュアなので技術に限界はあるが、アンケートで「心に響く熱い演奏だった」、「チャイコフスキーが大好きになった」とか「プログラムの解説が芥川賞クラスだ」くらいの評価を頂ければ最高だ。そのためには団員各位のレベルを猛練習で向上させるとともに、私個人としてはプログラムの質向上のために、誰も読まない「代表の独り言」を洗練された文章にして、せめて団員の半数ぐらいに読んでもらえる面白いものにして行きたい。それではみなさん、今年もほどほどにがんばりましょう。


【代表の独り言12月号(1年を振り返って)】

毎月何を書こうか迷っているが、幸い年末なので青葉フィルとしてこの1年何があったのかを回想してみたい。

まずは7月に例年通り定期演奏会が無事開催できたが、今年は元旦の能登半島地震で被害のあった方、とくに音楽関係者への支援という形で、特別の演奏会になった。結果として、被害が甚大であり、また音楽に対する熱い思い入れのある石川県立輪島高校の音楽関係者の方への義援金をお送り出来たことが大きかった。演奏会には輪島高校の校長先生にも来場頂いたし、義援金は同校の吹奏楽部、筝曲部、和太鼓部にて活用頂いているようだ。会計処理から私が外されたことで、義援金が飲み代に化けることがなかったのも幸いだった。あとは来春同校の卒業生が進学なり就職で青葉区と繋がりができて、当団に入団してくれることを期待したい。

もう一つの話題として4月からホームページに「代表の独り言」欄が出来たことだ。代表が無い知恵を絞り、寸暇を惜しんで毎月力作を書いている甲斐があって、1回も休まず継続できていることが驚きだ(驚いているのは代表ひとりだ)。残念ながら団員からは不人気で、私が知る限り読者は編集者だけだ。それも公序良俗に反するような怪しい文言が含まれていないかを確認するだけの作業で、興味を持って読んでいる訳ではなさそうだ。当初は団員の好評を得て、口コミで外部にも読者が広がり、これがきっかけで入団希望者が殺到するのではないかと心配して、食事も喉を通らずツマミと酒だけの生活を強いられていたのに、なぜこんなに不評なのか。思い当たる理由は以下の点である。

1) 文章が哲学的で難解すぎて一般人にはついて行けない。
2) 筆者のように楽器の演奏が下手になるのではと心配で敢えて読まない。
3) 時間の無駄。スーパーのチラシを読んでいる方が価値がある。
4) 猫に見せたら嘔吐した。犬に見せたら失禁した。
5) そもそもコラムの存在を知らない。

筆者の立場からすると1と5が理由ならショックは少ないが、3の可能性が一番説得力がありそうだ。しかしスーパーのチラシより価値のあるものは、どう頑張っても私には書けない。逆に読者がいないということは、こんな無駄な文章をホームページに載せるなという批判もないのだから、今後もせっせと書き続けることにしたい。

楽団以外では私事になるが、視力が落ちて右目では楽譜が見えなくなって来た。以前から緑内障と言われていて視野の四分の一が欠けている。だから四拍子の楽譜が三拍子に見える。たまに私ひとりが先に演奏を終わっているのはこのせいなのだ。それに加えて白内障の症状が現れた。強い光が当たると目の前が真っ白になる。眼科医の見立てでは、水晶体の中央部が白濁しているので見えづらいが、重症ではない、希望するなら手術してやっても良い、とのことだ。正直右目だけでは本も読めないし、楽譜も読めない。つまり以前の半分の視力で練習していた訳だから、上達するのに2倍の時間を要していたのだ。もし両目で楽譜が読めるようになって、倍速で上達すれば、ウィーンフィルから誘いがかからないとも限らない。(チケット購入の誘い)。

私の気持ちは手術に傾いている。問題は手術のタイミングだ。当然ながら7月の定演前に終えている必要はある。それより来春のタイガースの開幕に間に合わせることは絶対条件だ。うまく行けば片目で見て3-0でリードしていた試合が、両目でみたら6-0になっているかも知れない(失点が倍になるとは考えないようにしている)。それなら早いに越したことはない。来年早々にでも医者に手術をお願いしよう。唯一心配なのは、片目で見て8分音符と思っていたものが、両目で16分音符に見えた場合、また一人だけ先に演奏を終わってしまうことになりそうだ。そうなっても団員の皆さんには両目、ではなく大目に見て頂きたい。


【代表の独り言11月号(酒と小説と音楽と)】

私が学生のころだから大昔の話だが、応仁の乱よりはずっと後だったと思う。「今夜も小説を肴にウィスキーを飲む」というCMがあった。こんなしっとりとした飲み方が大人の酒なのだと、いたく感銘したものだ。「小節を数えながらウィスキーを飲む」とか「小説を魚に読ませながら鼻毛を抜く」とかいった下世話な作業は違うのだ。CM通りに大人っぽい飲み方をするなら、ウィスキーはトリスやレッドではなくダルマ(オールドの愛称)あたりが似合う。当時学生にとってダルマは高嶺の花だったが、今でもスーパーでホワイトホースやカティーサークの2倍ぐらいするから年金生活者にとっても高嶺の花だ。結局財布と相談して角瓶に落ち着いた。小説は何にするか。「天才バカボン」では様にならない。「今夜もバカボンを肴…」では格好がつかない。背伸びして安部公房を漢字抜きでひらがなだけを読んだはずだ。たしか「砂の女」だったと思う(漢字抜きでタイトルは「の」だった。)読後、突然思い立って何の準備もなく在来線を乗り継いで鳥取砂丘までいって砂に埋まって野宿したことを覚えている。砂丘は夜、虫がいっぱい這い出してくるので全く眠れない。砂丘での野宿はお奨めしない。

さて、大人の飲み方を実践してみると大きな問題があることが判明した。小説よりも本物の肴が欲しくなるのは当然だが、酔ってしまうと小説の内容が頭に残らないのだ。目では字面(じづら)を追っているのだが、小説のストーリーを頭の中で勝手に展開させて、別の物語を創造していることもある。本を開いているのに自分の作った世界に没入しているのだ。下手な小説よりずっと面白いストーリーのこともあるのだが、なぜかその面白い話を覚えていないのが残念だ。最悪の事態は100ページほど読み進めているのに、あくる日その内容を忘れていることだ。また100ページもどって読み始めるしかない。あくる日も飲んでいればその次の日にまた読み直すことになる。速く読み終えたいならシラフで読むにかぎる。

その後も数十年、飲みながらの読書は続けているが、最近は読んだ内容を忘れないように以下気を付けている。

1) 読む前に本が上下逆さまになっていないことを確認する。
2) 本なのか冷蔵庫の取扱い説明書なのか確認する。冷蔵庫の取説なら壊れたときに読めばよい。
3) 自分には難しいと思う本(「相対性理論が導く拡張する宇宙に飛び出すトノサマバッタ」など)は最初からウィスキーの肴にしない。
4) 出来るだけ分厚い本を数冊選んで枕にする(最初から読むのを諦める)。

小説家には酒豪が多いが、書く方にとって酔いは関係ないようだ。書いている内容を忘れてもあくる日目が覚めたら文章として残っているからだ。もちろん飲みながら書いた作品に出来不出来はあるだろうが、概ね酔ったときの方が出来は良いらしい。そもそも酒豪の作家はシラフでは書かない(書けない)のだ。ちなみにこの文章は飲みながら書いているが、酒が足りないのか駄文である。音楽家でも酒豪の作品には名曲が多い。ベートーヴェンの父親は有名な酒乱だし、母親も酒屋の娘だったから、家系としても恵まれている。彼は毎日、昼食時にワインを1リットル飲んで作曲していたらしい。演奏するのも飲んでからの方が名演になるに違いない。来年の定演は全員ポケット瓶を傍らに置いて、悲愴を最後まで何人演奏できるか挑戦してみるのも一興だが、再来年はフィリアホール出入り禁止だろう。