【代表の独り言】 ‘24年6月号 (ちょっとだけ阪神ファン)
先月号で「猫に小判」について書いたが、編集者からそこは「猫にショパン」だろうと絶妙なアドバイスをもらった。次回どこかで使わせて頂こう。さて、今回は音楽とは関係のない野球の話だ。チームが低迷していて今は野球の話なんか聞きたくないと言う方でも、これを読むと自信が湧くと思うのでお付き合い頂きたい。私は「ちょっとだけ阪神ファン」である。なぜ「ちょっとだけ」と控えめに言うかと言うと理由はざっと以下の三つである。
1) あまりに弱い時期が長い球団なのでファンと名乗るのが恥ずかしい。
2) 阪神ファンはガラが悪い等ネガティブなイメージがあるので同列に見られたくない。
3) 本物の阪神ファンの前では知識量で太刀打ちできないのでファンとは名乗れない。
今回は以上の項目ごとに細かく分析していきたいが、その前に私が阪神と係わるようになった経緯を簡単にご紹介しておこう。生まれは滋賀県長浜市で正直言って典型的な田舎である。小さいころは野球中継というと巨人軍(なぜこの球団だけ軍隊扱いなのか。憲法9条に違反するだろう。)の試合しか映らなかったから、いたいけな子供たちは強制的に巨人ファンにさせられていた。そんななかで私は世の中の道理が分かってくると、権力や中央に対する反感が芽生えて来て、自然と阪神に肩入れするようになってきた。決定的だったのは、進学した高校だった。滋賀県立虎姫高校、通称「トラ高」という。阪神ファン養成高校と言っても過言ではない。ここに狂信的な阪神ファンの教師が何人かいて、阪神が負けた翌日の授業はやたら厳しい。前日予習するかどうかは阪神戦の結果次第なのだ。だからラジオで阪神戦の中継を最後まで聴いて、負けたら真剣に予習するという習慣が身についた。野球中継を聴かずに勉強すれば早く寝られるのに、と言うのは優等生の考えることで、まともな生徒は手抜きしたいものだ。たまに延長戦で試合が長引いて予習する時間がなくなることもあるが、そのときは事前に授業で絞られる覚悟ができるので、最後まで中継を聴くことには意義があるのだ。こんな環境のなかで今の私の素直な性格が形成されたのだから、トラ高に感謝しておこう。
さて話を戻そう。「ちょっとだけ」の理由その1、阪神がどれだけ弱い球団なのか見てみよう。去年やっと日本一になったが、その前は38年昔の話だ。その間知将といわれた野村監督時代でさえ3年連続最下位という不名誉な記録を作っている。「阪神って甲子園によく出てくるけど、どこの高校?東海大相模とどっちが強いの?」などと質問されるが、阪神はプロの球団だ、高校生に負けるはずはない、と自信をもって答えられないところがもどかしい。実は日本一どころかリーグ優勝もほとんどないのだ。大人になって私は阪神が優勝するまで結婚しないと公言していたが、1985年に何とか21年ぶりの優勝で結婚に間に合った。それを逃がすとさらに18年間結婚できなかったところだ。1985は私の携帯番号にしている。もちろん結婚記念の年だと妻には言ってはいるが、うすうすそれだけではないと感づいているようだ。そんなわけで、人前で胸を張って「阪神ファンだ」と名乗るのは恥ずかしいのだ。
理由の二つ目、世間一般の阪神ファンに対するネガティブなイメージだ。品がない、厚かましい、知性がない、川をみたら飛び込みたがるなど褒められたものではない。大昔のことだが、かつての4番打者・田淵がホームランを打つと、腹巻姿にハチマキを絞めたオジサン(通称ハチマキオジサン)が3塁から田淵と手を取り合って一緒にホームインしていた。阪神ファンを名乗るとそういう憎めないが尊敬にはほど遠い人たちと同類と思われるのが怖い。では実際の阪神ファンはどうなのだろう。本当に川を見たら飛び込みたくなるのか、私なりにファン100人にアンケート調査してみた(実際に聞いたのが3人、推測が32人、想像が65人の100人だ)。すると川に飛び込みたくなると答えたのはわずかに1%だった。この比率を少ないとみるかどうかは個人の判断だが、甲子園に来る4万人のファンの内、1%だと400人が「川飛び派」である。首都圏1200万人のファン(あくまで私の推測だが)のうち1%の12万人が多摩川に飛び込むと巨大なダム湖が出現する。ここで水力発電すると首都圏の電力不足は解消されるが、飛び込んだ連中はすぐに丘に上がってしまうので、ただ迷惑なだけで終わってしまう。どっちにしてもネガティブなイメージは払拭できないので、同一視されないようにちょっとだけのファンに留めておくに限る。
最後に本物の阪神ファンがどれだけ膨大な知識を保有しているかだ。私の知る限り本物のファンは、選手全員の背番号、出身校、入団年次、ドラフト順位、身長体重、好きな食べ物、母親の名前まで覚えている。試合当日、その日が誕生日の選手が登場するとハッピーバースデイで出迎えるので、選手の誕生日まで覚えているのかと驚いたものだが、ファンクラブに入会してその理由が分かった。ファンクラブ発行のカレンダーにはその日が誕生日の選手の名前が書きこんであるので、本物のファンは球場に行く前に情報を仕入れている。ちなみに今年の定演の7月15日が誕生日の選手はいないので、アンコールでハッピーバースデイを演奏することはないだろう。二日前の13日はミエセスの誕生日だが、彼がそこまで残留している保証はない。かように私の知識量では本物のファンには太刀打ち出来ないが、そんな私でも会社を引退してからはDaznで阪神の試合は全試合(正確に言うとマツダスタジアム以外)試合開始から終了まで見ている。ただし酒を飲みながらの観戦なので3イニングぐらいまでしか記憶にない。結果は翌日ネットで確認することになるので、Daznは無駄ではないかと言われるが、反論はできない。
以上の複雑な理由が絡むので「ちょっとだけ阪神ファン」というのが理解頂けたと思う。同じような理屈で「青葉フィル代表」を名乗るのは控えようと思っている。今後は「ちょっとだけ代表」に改名しようかと考えているところだ。
【代表の独り言 5月号】(猫に音楽)
「猫に小判」という諺がある。辞書によれば「貴重なものを与えても何の反応もないことのたとえ」のようだ。それでは小判を音楽に置き換えて新しい諺ができるかどうか、現在壮大な実験を進行中だ。幸い実験動物が身近にいる。我が家で猫を2匹飼っている。ノルウェイジアンという長毛種だ。13歳のメスと8歳のオスだが、チワワやトイプードルがネズミに見えるぐらいの巨大ネコだ。猫を飼っている人はご存じかと思うが、猫はよく寝る。起きているとき以外は大抵寝ている。私も同じだ。「イヌでもネコでも女の子のほうが優しいのよ、人間と同じよ」と家族(妻と娘)が昔から主張していたので、我が家のペットはイヌもネコもずっとメスを飼っていた。ところがブリーダーに聞くとメスは子供を守る習性から警戒心が強くて気難しい、オスのほうが人懐っこいという。ためしに初めて飼ってみたオスが8歳のネコである。(写真を添付している。手前でボ~っとしているのがオス、奥でふんぞり返っているのがメスだ。もう1枚は無警戒なオス。)
ブリーダーの言う通りうちのオスは全く警戒心がなく、一旦寝込んでしまうとネコのくせに熟睡している。呼んでも揺すっても微動だにしない。一日のうち20時間ぐらいは寝ている。私の場合、起きていてもボ~っとしている時間を加えると一日の睡眠時間はネコと同じぐらいだ。それでは覚醒している短い時間にネコは何をしているかと言うと、ご飯を食べる、トイレに行く、あとは飼い主の邪魔をすることぐらいだ。ゴミ捨ても皿洗いもしない。昔のサラリーマン亭主の休日、または現在の私の毎日並みに怠惰である。
飼い主の邪魔とは具体的に何をするかと言うと、とにかく飼い主がやっている行為を意図的に妨害するのである。テーブルに広げて読んでいる新聞の上で寝転んだり、パソコンのキーボードの上を往復したり、特に変にキーを踏まれて意味不明の記号が羅列されたり、画面がロックしたりすると災難だ。ただしこの文章が不自然なのはネコが踏んだせいではなく、私の能力不足なのでネコに責任はない。また、私が読んでいる本と顔の間にネコが頭を突っ込んでニタっと笑ったりすると、もう先を読む気もしない。私がもし妻が読んでいる本の前に頭を突っ込んでニタっと笑ったりしたらゲンコツが飛んでくるだろうが、ネコならなぜか許される。その訳について一度政府の見解を聞いてみたいところだが、今政府にはその余裕はなさそうだ。
そんなネコ達に対して私はヴァイオリンを聴かせている。良い音楽を通じてのネコの情操教育を図るとともに前述の実験が目的だ。(正直に言うならオケの合奏についていくための必死の練習だ。)2匹の反応は正反対だ。オスのほうは全く興味を示さず眠ったままである。「猫に小判」が当てはまるケースだ。私のヴァイオリンと道路工事の騒音の区別がついていない可能性もあるが、無視できる範囲だ。一方メスは私の奏でるトロけるような甘い音色を聴くや否や、そそくさと部屋から出ていくのである。最近では楽器のケースを開けただけで逃げ出す始末だ。先月号で触れた「高価な弓を買うためにネコの餌を節約する策略」がばれて反抗しているのではない。それ以前からずっと続いている反応なのだ。音楽が嫌いなのかというとそうでもない。CDをかけても平気だし、ピアノの音にも順応するのに、なぜか私のヴァイオリンを聴くと部屋を出ていく。考えられる原因は次の三つのうちどれかだ。
1) トロけるような音色を聴くと自分もトロけるのではないかと不安になる
2) 演奏に陶酔して失禁しそうになる
3) 音程が外れていて吐きそうになる
正解はネコに聞かないと分からないのだが、家族は3)に決まっていると、さも当然のことのように言う。オスは音楽に対してもおおらかというか無頓着だ。一方メスはここでも警戒心から拒絶反応を示すのではないか。結局「猫に音楽」は演奏者と聴くネコによって反応が異なるので、諺にはならないと結論付けるほかなさそうだ。そんな中で今日もひたすら練習に励む私だが、動物虐待だ、という投書が来ないことを祈っている。
【代表の独り言 4月号】
【本文を読む前に】
以下の文章は青葉フィル団員向けに作成されたものである。従い一般公開するには支障がある部分があり、以下の通り一部を削除または修正している。
1) 団員および関係者の固有名詞
2) 公序良俗に反するもの
3) 青少年の健全な育成を妨げる部分
4) 経済安全保障上国益を害するもの
5) 金儲けのための新NISA投資術
6) 読んだ後捧腹絶倒で生死にかかわる箇所
7) 説得力があり今後の人生設計に寄与する教え(元々原文には含まれていない。)
以上のように削除・修正を行ったら、残ったのはタイトルと句読点だけになった。さすがにこれでは掲載の意味がないので、多少青少年の育成には支障はあるものの、原文のあらすじは残すことにしたので、ご理解頂きたい。なお、原文を読みたい方は、青葉フィルに入団するしかない。
【代表の独り言 4月号】本文
青葉フィルのホームページ内に団員ページが新設されることになり、今月から表記のタイトルで文章を書け(書いてもよい)と要請があった。原稿料は無償である。「独り言」の言葉どおり、団員に対するメッセージや私個人の反省文では全くなく、単に代表のつぶやきとして聞き流してもらえれば良いのだが、万一読者が文章に感銘を受けて、酒の1本でも進呈したいということであれば、ありがたく頂戴する。内容については音楽に関するものが望まれるのだろうが、ときには(と言うより大方は)ネコの機嫌の取り方とか、病気といかに付き合うか、正しいパンツの履き方など、種々雑多な事柄でごまかしながら書いてみたい。
早速だが初回は弓の話である。元来私は楽器本体には興味はあったが、弓は添え物ぐらいにしか考えていなかった。弦に直接触れる弓毛や松脂を除けば、ペグとか顎アテみたいに音色には影響ないものと思っていた(顎アテなんかカマボコ板でもよいと思っている、弾きにくいだろうが)。極論だが履いているパンツの色で音色が変わるか、と言いたいところだ。ところが先日とある指導者から、今私が使っている弓は良くないと言われて(私の技量が良くないと言われるよりずっとよかったが)、まともな弓を一度試してみる気になった。それで古い弓の毛替と修理を兼ねて、以前から弓のことならここだと言われていた弓メーカーの販売店を訪ねてみた。
買い替えるならフレンチが欲しいところだが、円安で輸入品はかつてよりかなり割高になっているので、中途半端なフレンチを選ぶより国産の高級品がお勧めだと店員が言う。この会社は今、創立40周年だと言って、最高級品を限定販売している。数量が限定なのか、価格が限定なのか、言葉だけで興味を引くための限定扱いなのか聞けなかったが、とにかく限定販売らしい。店員は4本並べて試奏してみろと言う。自分の楽器を持って行ったので、早速自分の今の弓も含め試奏してみた。はっきり分かったのは自分の弓が劣ると言うことで、店のお勧め4本に大きな差はない。店の音響が良いのと自分で弾くと近すぎて差が分からない可能性もあるので、店員に弾いてもらった。なんと私より格段に技量は上だ。これ以降恥ずかしくて自分で試奏するのはやめた。
最終的に2本音質の気に入った弓が残ったが、値段はやはり高い順の2本だった。買うかどうか決めてはいなかったが、修理に出した古い弓が仕上がるまで2本を売らずにキープして置くよう依頼した。正直なところすぐに工面できる金額ではないし、このメーカーの弓に対する知識もあまり持ち合わせていなかったので、考慮する時間をとって正解だ。安くて小ぶりか高いけど大きめの肉マンかを迷った末に選ぶのと訳が違う。家に帰ってからに関する情報を調べ尽くした。プロでは三浦文彰が愛用していることが分かり、最近新たに40周年で弓を特注したことが判明した。大瀬国隆という職人と三浦文彰との共同作業で最高品質の弓が完成するさまを描いたYouTubeのドキュメントを発見したのだ。興味があれば「三浦文彰 理想の弓を求めて」(youtube.com/watch?v=1FQ10amxdQ)をご覧頂きたい。
材料のフェルナンブコ(ここではペルナンブコと呼んでいる)の選定から研磨・最終調整までの手間がすごい。弓の良し悪しは棹が全てだという。ビデオでも三浦の試奏を聴いたら現弓と新作の音色の違いがよく分かる。なんとしてでも大瀬国隆作の弓が欲しい。キープしている2本のうちの1本がそうだ。あとはどうお金を工面するかだ。3食をチキンラーメンにして食費を浮かせ、ネコの餌も廉価品に変更しても、生きているうちに捻出できる金額ではない。金策としては老後の蓄えを取り崩すしかない。100歳まで生きるつもりでいたが、99歳で死ねば1年分の生活費が浮いてくる。金策はこれしかない。それでも足りない分は値切ることだ。
すったもんだの挙句遂にKUNITAKA OHSEの銘が入った限定販売の弓を手にいれた。値切った分はわずかに10%だけだったが、有名な同社の松脂も付けさせたのでマズマズと言ったところか。大瀬氏は現在76歳、チェロ弓の国際コンクールで金賞を取っているので、むしろチェロ向きなのかも知れない。年齢的に作れる弓の数は限られているので、ちょうど良いタイミングで彼の弓が手に入ったと得心している。実際に家に帰って弾いてみると、開放弦の音色まで不思議に深い。棹のフェルナンブコがなぜ音質に影響するのか、未だに理解できないが、弾いていて満足できるのだから良しとしよう。ただし弓を変えたからと言って技量が上がるわけではない。音程までは補正してくれないから、下手は下手のままである。